こんにちは。
1995年1月17日の未明に発生した阪神・淡路大震災。今日で発生から30年が経ちました。
今回は当時を知るブランド管理室 長田室長にインタビューし、震災を振り返ります。
あの時、私は御影店の店長をさせていただいていました。震災当日、誰も何も言わずとも従業員みな、まず中山手本店に集合していました。街の見慣れた風景は一変し、いくつものビルが倒壊し、至る所から黒い煙が上がっていました。本店東側の果物屋さんは全壊し、ハンター坂を挟んだ西側のビルは大きく傾いていました。
その時に、現在の吉谷会長が言った「必ず再興させよう、頑張ろう」という力強い言葉に背中を押され、皆で店の片付けを始めました。崩れかけた本店の中から見えた空が印象に残っています。
にしむら珈琲店では、すべての店舗において全半壊の被害を受けました。
うちも(御影店)半壊の状態でしたが、幸いなことに井戸が有り水源が確保できましたので、早くに再開できる見込みがありました。また従業員やその家族も全員無事でしたので、なんとしてでも早急に再開させるという思いで各店の社員が御影店に集結し、一丸となって片づけに取り掛かりました。
カップ等は他の店舗から割れなかったものを集め、作業着のような出で立ちでしたが、震災から約10日後にお店を再開することができました。
山手幹線の下手では、多くの家屋が倒壊し、現実とは思えない光景が広がっていましたが、店を開けると連日お店の外まで行列ができました。多くのお客様が震えながら毛布にくるまり、温かい珈琲を求めて並んでおられました。再開当初は、珈琲とお子様用のジュースを、準備が整ってからカレーも提供しました。
不安な日々の中でしたが、創業者の川瀬喜代子が先頭にたち、「一緒に頑張りましょう!」とお客様や従業員に声を掛けてまわる姿に胸を打たれました。
他にもお店の果物や野菜、卵などの食材を近隣の方へ配りました。震災により断水した世帯は約126万戸と言われていました。その方々の少しでもお役に立てばと、毎朝珈琲に使う水を運んでいたトラック(通称「宮水号」)は、井戸水を配る給水所として使っていただきました。また、救援関係者の方にはお弁当を食べる場所として客席をご利用いただきました。温かいお茶と共に「復興のお手伝いをありがとうございます」の気持ちを精一杯込めて。
ジャージ姿でお店に立っていた時、創業者の川瀬喜代子が戦後まもなくお店を開いた時もこのような状況だったのかもしれないと、不意に情景が重なりました。「皆さんご無事でしたか?温かい珈琲をどうぞ。」と、お見えになるお客様を「思う心」でおもてなしをする。この心が、にしむらの原点だと強く感じました。
この後、来店されるお客様の服装、表情が元に戻ったと感じたタイミングで通常営業に戻し、のちにお客様から感謝のお手紙やお言葉をたくさん頂きました。
= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
私は震災を経験していない世代ですが、話を聞いて、にしむら珈琲店が大切にしている「思いやり」や「心配り」が随所に現れた出来事のように感じました。また困難な状況下でも、⼈と⼈との温かみの溢れた繋がりがあったことで、⽣きる喜びや未来への希望が⾒え、神戸は復興に向けて歩むことが出来たのかもしれないとも思いました。
コロナ明けから、2回⽬の開催となる「第30回神⼾ルミナリエ」。今年は1⽉24⽇(⾦)から2⽉ 2⽇(⽇)の10⽇間、開催されます。
みなさんにもそれぞれの想いや記憶がある⼤切な⽇、これからも⾵化させることなく想いを繋いでいくとともに、防災への意識や準備を再確認しなければいけないと強く感じました。
こちらのリンクから動画をご覧いただくことができます。
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/eqb/0100475689/
「『神戸にしむら珈琲店中山手本店とダニーボーイの被害』撮影:サンテレビ 提供:神戸大学附属図書館 震災文庫」